成都の観光スポット
成都 杜甫草堂
唐代の詩人・杜甫が成都に住んでいた時の居所。759年から約4年間、安禄山の乱を逃れた杜甫が樹齢200年以上の柏の木の下に仮小屋を造り、質素な生活を送った場所。彼の全作品1400首のうち代表作を含む247首がここで生まれた。唐の末、杜甫を記念するために仮小屋の跡に草堂が建てられ、明代に再建されて今日に至る。今も杜甫草堂はひっそりと竹林の中に質素なたたずまいを見せている。庭園式の建物で大門をくぐり、蓮花池を渡ると、木の生い茂る中に三重の庁堂がある。草堂書屋には古今の杜甫詩集などの書物が展示されている。ほかに梅園や花径など時間をかけて歩きたい。
成都 都江堰
古代中国が開発した4大水利計画の1つ。すでに2000年以上の歴史がある。 四川省は米作が盛んである。一説によると日本の米もこの四川省から伝播したのではないかとも言われている。秦・漢の時代も同じく米が作られていた。蜀の繁栄もこの米にあると行っても過言でない。そして米作りに必要な治水技術も、きちんとなされていたことは驚きである。川を外江と内江の二つに分離させる遺構。それにしても雄大な川である。
成都 武侯祠
成都市郊外にある三国時代の蜀漢の宰相・諸葛亮(孔明)を祭った社。6世紀ごろから建てられ始め、明代には隣接する主君・劉備玄徳の陵墓、漢昭烈廟と併合された。孔明の贈り名である忠武侯にちなむ武侯祠として親しまれている。戦火のため、現存する建物は清代康熙の1672年に再建されたものだ。3.7万平方メートルの広大な境内には、南北方向の中軸線に沿って大門、二門、劉備殿、過庁、諸葛亮殿の五つ主体建築がある。劉備殿には金泥の劉備像が安置され、側棟には関羽、張飛ら文官、武官の塑像がある。諸葛亮殿には、孔明の像や南征時に鍋や銅鑼として使ったという、諸葛亮自ら作ったといわれる青銅製の巨大な諸葛鼓などの文物が納められている。また、大門を通ると、生い茂る緑の中に六通の石碑があり、中でも孔明を称えた唐代の809年建立の石碑はかなりの文物価値を持っており、"三絶碑"と呼ばれている。これらは唐代の著名宰相裴度が作った碑文、書法家柳公権が書いた書、名匠魯建が彫ったもので、いずれも卓越している。
成都 パンダ城
成都市北郊の斧頭山にある。敷地面積は60万平方メートル。パンダの保護、繁殖と科学研究の基地である。現在では20数頭のパンダが飼育されており、一般公開されている。
成都 青城山
灌県の西南15キロのところにそびえる標高1600メートルの道教の名山。山には樹木がうっそうと茂っている、"四季常青"(年間を通じて緑が絶えないことから)青城山と呼ばれるようになった。周囲120キロという広大な山域は青城前山と青城後山に分かれている。前山には道教寺院などの文物遺跡が多数現存している。後山は自然の景色が神秘的できれいな所だ。原始のままの美しさでパラダイスのようだとたとえられている。主な名勝地は、建福宮、天然図画、天師洞、上清宮など。それぞれ多彩な姿で歴史を物語っている。山道はかなりの傾斜なので登りにくいが、数年前それぞれの山のふもとからロープウェイなどが整備された。
成都 青羊宮
市街地の西部、一環路沿いにある成都市で最も大きな道教寺院。古くは青羊肆または青羊観と呼ばれた。その由来は道教の始祖、老子が青い羊を連れてここを通ったという故事による。唐代に創建されたが明代に焼失し、現存する建物は清代のもので、三清殿前には清朝雍正時代に北京から運ばれた二つの銅羊があり、その中の一つは十二支の動物の特徴を持つ奇特な造形をしている、道教文化の研究には重要な文物となり、病を治すとして多くの参拝者を集めている。八卦亭は最大の建物で方形の土台に建てられた八角形の屋根とドーム状の天井は「天は円く、地は四角」という世界観を表現している。
成都 三星堆
成都市から30キロ離れた広漢市で発掘された遺跡。最初に発見されたのは1931年だったが、学者たちの数十年の努力によって、現在遺跡の面積は12キロ平方メートル、そのうち古城城址の面積は3平方キロメートルと判断された。1986年には大量の金器、青銅器、玉器、陶器、象牙などの文物が発掘され、世界的な話題となった。この「三星堆遺跡」の出土品を公開するために、博物館が建てられ、出土品の一部は海外でも巡回展示されている。展示場面積は4000キロ平方メートルもあり、千点以上の展示物がある。中でも注目されるのは、目が飛び出たような独特な造形の仮面「青銅縦目面具」や、高さ3.95メートルもある「青銅神樹」、高さ2.62メートル「青銅立人像」など。その他高度な技術によって製作されたものが多数展示されている。これらは黄河文明とは明らかに異なっており、殷末ごろに長江上流域で発達した文明の遺産とも推定されている。館内の売店で写真集、絵葉書、青銅器像のミニチュアのレプリカが買える。
成都 二王廟
都江堰の生みの親である李氷父子を祭るために、玉壘山のふもとに建てられた廟。南北朝時代に創建され、"崇徳祠"と名づけられたが、宋代以後の歴代の朝廷は二人を王として封じたため二王廟と言われるようになった。現存の建物は清代に修復されたもので、都江堰を守るように建てられている。李氷は秦の蜀郡守(知事)だったが、岷江の水利事業で功績をあげた。廟は緑に覆われ、大殿と後殿には二人の像があり、廟内の石壁の間に李氷治水の要領"深掏灘、低作堰"、"遇湾截角、逢正抽心"などが記されている。楼閣の最上階からは岷江の分流地点である魚嘴やつり橋の安瀾橋などが間近に眺められる。
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